ではどうすれば…。残された選択肢は2つ。一つは目標の変更。「格上相手でも勇気を持って主導権を握るサッカー(ザッケローニ)」を諦め、本大会で結果を出したコスタリカやメキシコのように守備から相手を崩しにかかり、相手の綻びから得点を奪うといったサッカーで勝ちに行く手法を組み込んでW杯上位進出を目指すのだ。
二つ目はスーパースターや特定のクラブチームで出来上がった組織に頼らずに、当初の目標達成を目指す策を見出すこと。日本サッカー協会は「フル代表だけでなく、各年代別の代表も一貫して高いボール保持率で主導権を握るサッカーを目指す」ことで初志貫徹を目指すという。この方針には賛否両論あるが、筆者はこれを”勇敢”な選択と捉え支持したい。代表チームが集まれる期間は限られているため緻密な戦術を定着させるのには時間が足りないと述べたが、それは他国も同様。見方を変えれば、日本が目指す「各世代間でのアイデンティティの共有」が達成されればその綻びを突ける可能性は高まるということだ。
「システムを効果的に機能させるためには、あらゆる状況に置いてチーム全員が自分は何をすべきかを明確にわかっていなければならない。(中略)当時のミランにおいて真の違いを作り出していたのは、自分たちはひとつのグループとして強く結束しているという自覚、そして強烈な参加意識だった。」アンチェロッティが著書の中でこう述べている通り、チームの目指す方向性とそれに沿った個々の役割を徹底的に染み込ませることは勝利を近づける。まだ手探りの段階ではあるものの日本はそれを代表チームレベルで達成し、一部のタレントに依存しない攻撃的なサッカーを実現させようとしているのである。
ただ「染み込ませたアイデンティティ」を武器に実践する相手がアジアのチームである以上、自分達と同じ体格の引いてくるチームをどう崩すのかを只管試すことになり効果は薄い。その意味でコンフェデ杯への出場は大きなプラスとなったはずだし、各世代のユースが海外遠征に飛び回っているのも地道だが必要な蓄積だ。一つ残念だったのはコパ・アメリカへの参加を辞退してしまったこと。たらればだが日本の代わりに参加したコスタリカは”死の組”を首位で突破した。前回は震災も重なり辞退はやむを得なかったかもしれないが、次回以降は日本が参加常連国となるぐらいにコミットして貰いたい。
長々と書き連ねたが、日本が「ポゼッションで圧倒し緻密なパスで崩す攻撃的サッカー」による勝利を目指す以上、現在の方向性は決して間違っていない、というのが筆者の意見である。ただそれは30年、40年単位の超長期で取り組むことが前提となる。無論、日本サッカー協会もそのつもりだろう。(彼らが掲げている目標は2050年までにW杯”優勝”)その意味では今大会の惨敗は、守備を基軸とした奇策でベスト16へ進んだ前回大会よりも幾分ポジティブなステップとして捉えられるべきだ。この4年間でアルゼンチン、イタリア、オランダ、ベルギーに攻撃的なサッカーで善戦した結果、本番では「自分たちの戦い方」研究した格上に敗れたのだ。やっと同じフィールドに立てたのではないか。あくまで「自分たちのスタイル」への歩みを捨てず、結果を出すことが極めて困難である長期プロジェクトのスタートを全うしたザッケローニ監督には敬意を示したい。
進化を遂げた少年たちのように頭を使い組織で戦えば強いチームになれるのがサッカーだ。その場凌ぎの戦い方は、その場限りの勝率を高めるかもしれないが蓄積されるものは少ない。彼らの小学生チームはその後話題を呼び、一緒に戦うメンバーも増え、世代を超えて結果を出し続けたそうだ。