“彼は偉大な選手である上に魂を持った男だ。”2014年9月、ジョーダン・ヘンダーソンはリヴァプールの生けるレジェンドからこう称されチームの副キャプテンに任命された。19歳で臨んだサンダーランドでのプレミア初年度に1得点6アシストを記録し、チームの若手MVPにも輝いた英国サッカーの「エリート」はキャリアの大きなステップを踏んだのだ。
しかし、2011年にマンチェスター・Uとの争奪戦の末やってきた青年がマージーサイドで過ごした日々は決して平坦な道のりではなかった。ダルグリッシュ氏率いるレッズが8位に沈んだ移籍初年度、同時期にチームへ加入したダウニング、アダムらと共に「戦犯」としてバッシングを受けたのだ。ただ、その批判が正しかったことは数値からも読み取れる。37試合に出場して2G1Aと攻撃面の貢献は平凡な上にパス成功率も83.9%と優秀なリンクマンとして働いた訳でもない。さらに加えると、バックパスを18本通したのに対して、前方に通したパスは4本しかなかった開幕戦に象徴されるように、彼の消極的なプレーは度々スタジアムとTVの前にため息をもたらしたのだった。£16mという多額の移籍金がさらに重くのしかかる。
(1112シーズン開幕戦のヘンダーソンの総パス図 from STATS ZONE)
翌シーズン新監督に就任したロジャーズは「損切り」と言わんばかりにデンプシーとのトレード要員としてこの若者をピックアップ。話は決定寸前まで進んでいたが、リヴァプールで戦いたいという本人の強い意志を監督が尊重し残留することとなった。今でこそこの放出未遂が”馬鹿げた試み”であったと言える。しかし、移籍騒動が終わって直ぐに彼のプレーが向上し、ポジション獲得に至った訳ではない。開幕12試合は先発出場することなくベンチを温めたのである。そんな「戦力外」も同然だった彼がシーズン終盤に文字通り覚醒し、翌年レッズが演じた快進撃の立役者となろうとは誰が予想しただろうか。恐らくこの頃に自伝を執筆していたであろうファーガソン氏も同書の中で彼を批判したことを悔いているに違いない。